怠惰は人を殺す。生来人間と言うものは現代において利便性を追求してきた。人は身の周りの面倒を研究し、それを黙殺することを追い続けてきた。面倒が減ることでそれに費やされる時間を短縮し、自らの負担や自由に行動できる時間を作るためだ。それを成すことにより人類は大きく進歩を遂げ、様々な地球の秘密を暴いてきたのだ。自らの知識欲を満たし無知を恐れた。知り、考え、自由に行動することを成功させてきた人類には、それによって大きな目的をただ我武者羅に追いかけるという、美しい努力成す機会をなくしてしまったのである。そして現代人はふと自らに問うのである、自分の存在意義を。突如なんの前置きもなく、唐突に、青天の霹靂のごとく、自ら今行動していることについて疑問をもつのである。この疑問について正解を導き出せるのはおそらく出題者、己自身でしかない。この場合他人にどう説明をしようとも、綺麗ごとやお世辞などで済まされてしまうのが関の山だ。たとえどんなに信頼している他人や、自身を知っている知人にもこの疑問は解明できないだろう。それは己自身に問うた疑問だからである。この疑問は人間を無力にし、混沌とした思考考察の海へと投げ打つのだ。この問題にぶち当たった人間の多くは途中で気が逸れるか、これでいいじゃないか、と妥協と曖昧な回答で考えることを終わらせる。人類において考えるという行動は最も人間を人間らしくし、人間を殺すものだ。身の周りの利便さに甘え、考えるということに惰性を燃やす人類はそれこそ時間を無駄に費やし、ただ悪戯に自分というものについて曖昧な結論を求めた。多くの面倒をこなし、ただ我武者羅に生きている人間の方が、より優れているように見えるものだ。ただ何も考えず己の決めた目標にひた走る人間は美しい。それは多くの現代人が憧れる姿である。美しくぶれがない、しゃんと胸を張る努力人は現代において絶滅危惧種だ。過去に多くの成功を成し遂げた偉人や、現代世界で活躍する名人はほとんどこの絶滅危惧種に分類される類のものである。利便性を追いかけるあまり、現代人は美しい努力の姿を殺してしまったのである。